カポエイラ用語集

Lampião(ランピアォン)として広く知られている本名Virgulino Ferreira da Silva (ヴィルグリーノ・フェレイラ・ダ・シルバ)は、Cangaçoの組織の中で最も有名な首領、1920年代と1930年代にブラジル北東部で活躍した盗賊。ランピアォンはランプという意味。20121027-015528.jpg

 

 

生い立ち

ブラジル北東部ペルナンブコ州の奥地Serra Talhada村のつつましい農家において、父、ヴィルグリーノ・ホセ・フェレイラ・ダ・シルバと母、マリア・ロペスの間に、3番目の子として、1897年6月7日に生まれた。 21歳になるまで、彼は勤勉な革細工​​職人として成長した。彼はまた、読み書きができ眼鏡を使用していたが、これは彼が住んでいた素朴で貧しい地域では、どちらも非常に珍しいことであった。

Lampiãoは、父親が1919年に警察との衝突により殺されるまで、近隣と確執の多い地元で家族と共に暮らしていたが、復讐がその後の彼の行動原理となり、次第にその暴力性が明らかになっていった。無法者となったLampiãoは常に警察から追われていた。(警察は、彼をmacacos=サルと呼んでいた)。20121027-013821.jpg

それから19年間、彼は馬に乗り盗賊団を組織し共に旅をした。彼は統率の理由から一味を決して50人以上にすることはなく、重武装した上に、帽子、ジャケット、サンダル、弾薬ベルト、カーティンガ(乾燥低木やブラジルの北東部の乾燥した内陸部の典型的な柴)のトゲから身を守るためのズボンなど、揃いの革の衣装を着ていた。
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彼らの武器は主に警察や自警団などから盗み出されたもので、モーゼル軍用ライフル、ウィンチェスターライフル、拳銃、モーゼル半自動拳銃を含む小型の火器など様々であった。 Lampiãoは7つの州において、地方の都市や農場を襲い、家畜の窃盗、殺人、強盗、身代金目的の誘拐、強姦、傷害、放火などをはたらいた。
1930年には、彼の恋人Maria Déa=通称マリア・ボニータ(美しいマリア)も一味に加わり、他のメンバー同様のいでたちで行動を共にした。また、1932年には、Lampiãoとマリア・ボニータの間に娘が生まれた。20121027-014409.jpg

 

 

ランピォンの死

1938年7月28日、Lampiãoと彼の一味は彼の手下の一人に裏切られ、彼の隠れ家の一つAngicoの農園において、マシンガンで武装した警察隊により待ち伏せられた。ほんの短時間の銃撃戦の結果、Lampiãoとマリアボニータ、他、一味の内9人が殺された。彼らの頭部はサルバドール法医学研究所の専門家による調査のためにバイーア州サルバドールへ送られた後さらし首として公衆にさらされ続け、1971年になりようやくLampiãoとマリアボニータの家族の元へ戻され埋葬された。20121027-003735.jpg

 

 

民衆的英雄

こうして無数の民話、書籍、文学、歌、映画、テレビドラマ、コルデルと呼ばれるブラジルの小冊子、漫画などの題材となり、Lampiãoとマリアボニータは、例えばアメリカで言うところの典型的な西部劇におけるヒーローのように語られることとなった。20121027-024502.jpg

また、多くの人にとって彼は、民衆の英雄ロビン·フッドのような存在として、支配者層に対する農民の反乱のシンボルと考えられていた。

悪行の限りを尽くしたLampiãoが義賊として人気があったのは、当時、大規模農園などの支配者層とそれ以外の民衆との間には大きな格差がある社会であったため、Lampião本人の意図はともかく、抑圧されていた層には彼の行動は痛快であったためだと思われる。
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カポエイラの歌の中では、いくつか彼に関する言及がある。
・Oi sim sim sim
・Pisada de Lampião
・Adeus Santo Amaro

また、Lampiãoのドキュメンタリーにおいては、彼やマリア・ボニータが実際に動いている貴重な映像もあり、彼の娘へのインタビューも確認できる。

参考: wikipedia

 

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