木曜日は新婚旅行へ行く、代行の先生の代行で僕でした。
例に倣って月初の木曜日は表現のクラス。
まず一番大事なのは、音を聴く事。
このクラスに限らず「音を聴きなさい」という注意は普段から受けているはずなのですが、
これがなかなかうまくいかないですよねー。
よく注意されるヒトも居ると思います。
そんなヒトはおそらく、自分ではすごく聴いているつもりなんだろうなあ。
という事もよくわかります。
僕も一時期、毎クラスで注意されてましたので。。(大げさじゃなく毎回)
しかし、それを他人から指摘されるという事は、聴いている風には見えていないということなので、
聴いているんだけど、実は身体がついていけていない(反応していない!)
ということも、あるんなんじゃないかなーと思ったりしてます。
ボディコントロールは難しいですけど、大事な事ですので、
同じスピードを保ちながら動く。というような事も普段から意識して出来ると良いと思います。
そうでないと、自分の思う表現もなかなか難しいですよね。きっと。
表現といえば、このクラスではいつも「はい、音に合わせて体全体を使ってヒョウゲンして!!」
という漠然とした指示もでます。
皆さんはそれなりに内なるものの表現をしていたのかもしれないし、そうでなかったかもしれません。
先日のメストレズWSの際、M.カスキーニャの表現のクラスがありました。
内容としては
・合図がなったら、喜び(怒り)を表現しなさい。
・参加者全員の人体で構成された、喜び(怒り)のモニュメントを作りましょう。
などなど。
モニュメント作りはとても新鮮で、メストレの合図にあわせて、1人ずつ前に出て行き「喜び」
を表現して静止する。全員が前に出たところで完成!
怒りのモニュメント作りも同じく行われ、2体の造形が出来上がった訳です。
そこで感じたのは、だいたいの人の感情の表現は似ている。という当たり前の事。
そうじゃないと、コミュニケーションなんてモノは、おそらく成り立たないのだろうなと。
だから、木曜のクラスでやるような、
「はい、ヒョウゲンして!」に対しては、
漠然と動くのではなくて、感情でも、欲望でも、少なくとも自分の中では明確なイメージを持ってやるべきだなと感じました。
なので、昨日は少し具体的にイメージする練習として、「自然界の何かをヒョウゲンして」
という指示にしてみました。。
例えば木のカタチを表現した人もいれば、木の気持ちを表現した人も居たかもしれません。
いずれの場合も、それを人に伝えるにはどうするか。
をよく考えなければならないと思います。
木の表現を、そのカタチをして相手に伝えるという事は比較的簡単かもしれませんが、
相手には全然伝わらないような木のカタチをしておきながら、「何故解らないんだ!」と怒ったり
相手に考える余地も与えず「あ、わからないならいいです。はいはい。さようなら。」みたいな表現も、やっぱりコミュニケーションツールとしてはやっぱり成立しない。
「表現する」と聞くと、アート的な頭が必要な気がして取っ付きにくい部分もあったりするけど、
本当にその相手とコミュニケーションをとりたいなら
相手に理解してもらうというのが、まず第一歩なのではないかと思いました。
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