カポエイラの原型となるものはアフリカが起源であり、ブラジルへ奴隷と共にやってきたカポエイラの歴史は、1500年代から始まった。
よりはっきりとカポエイラが成立し始めたのは1700年代で、それでもすでに300年ほどの歴史がある。
現在のカポエイラ教授法(カポエイラのスクールに通う習い方)が成立したのは、まだほんの80年前。
ここでは、カポエイラの歴史の紹介と、その歴史を年表にまとめて解説。
カポエイラの歴史
「カポエイラ」の語源
「カポエイラ」の語源はトゥピ語のka'a(「森」)paũ(「丸」)の意で、逃亡した奴隷が隠れるブラジル内陸部の「低植生地帯」を指すとする説が有力。
カポエイラは誰が始めた?
カポエイラは、アフリカ(主に現在のアンゴラ国)から16世紀以降に、ブラジルに連れられてきた奴隷達によって生み出されたとされている。
アフリカに古くから伝わる戦いのテクニックを、奴隷たちがブラジルの中で格闘技の形に発展させたもの。
歴史家の間でも、カポエイラの起源については意見が分かれていて、アフリカの戦いのスタイルがそのまま持ち込まれたする説と、アフリカ各地の様々な文化がとブラジルに元々あった文化と融合し発展したという説がある。
いずれの場合も、カポエイラはアフリカ、奴隷、黒人、ブラジルといったキーワードと密接な関係がある。
カポエイラはどこで行なわれた?
これには2つの説がある。
- センザーラと呼ばれる奴隷小屋の近辺で、主人の目から隠れながら行なわれた
- キロンボと呼ばれる逃亡奴隷の集落で行なわれた
どちらかの説だけが正しいというわけではなく、どちらも並行して存在していた。
ブラジルの中でも、アラゴアス州にあったキロンボ ドス パルマレスは特に大規模に発展し、バイーア州、ペルナンブコ州やリオデジャネイロ州等、アフロブラジル文化の発展に多大な影響を与えた。
カポエイラの元になった格闘技
N'golo(ンゴロ)説
書籍「The Hidden History of Capoeira」を著したMaya Talmon-Chvaicerによると、カポエイラは、N'golo(ンゴロ。シマウマのダンス。Efundulaと呼ばれる期間(女性が年ごろになった時期)に、南アンゴラのMucope族、Muxilenge族、Muhumbeの族で行われる儀礼的な戦闘の踊り)の影響を受けているとのこと。
世界的には受け入れられていないものの、1960年代よりこのN'golo説は、多くのカポエイラアンゴラを実践する人々に人気のカポエイラ起源説となっていった。
一方、これらのアフロブラジル文化の多くは戦闘を起源としながらも、新世界(南北アメリカ大陸)での奴隷達への抑圧に対抗する、実戦的かつ娯楽の手段として存在した。
カポエイラ歴史年表
1450年ごろ
アフリカ人を新大陸へ運ぶ大西洋奴隷貿易がポルトガルによって始まる
1500年
カブラルがブラジルに漂着、ポルトガル領を宣言
1500年代
アフリカ各地からブラジルに連れて来られた大量の奴隷たちは自国の文化を維持しカポエイラの元になるものが形成され始める
1533年
奴隷を労働力とするさとうきび栽培が発展し始める(それゆえブラジル文化は農村的)
1600-1700年代
脱走した奴隷の集落が多数生まれ、支配層への対抗手段としてカポエイラが利用されたとされる
また、今日のカポエイラというものが確立され始めたのは1700年代とされる
1763年
ブラジル植民地首府をサルヴァドールからリオデジャネイロに移転
1850年
奴隷貿易を停止
1888年
ブラジル、世界で最後の国として奴隷制を廃止
(しかし奴隷制が廃止されたため逆に生活の基盤を失い困窮した奴隷たちの一部は、カポエイラを悪事に使う場合もあった。また、ギャング間の抗争や隣国との紛争では有効な戦闘手段として利用された)
1890年
カポエイラが法律で禁じられる
1932年
格闘技の道場として初のカポエイラスクールがオープン
1940年ごろ
公式にカポエイラが違法ではなくなる
1941年
初のカポエイラアンゴラのスクールがオープンする
1953年
大統領の前でカポエイラ・ヘジョナウのデモンストレーションが行なわれる
その前後よりカポエイラが国技として認識されるようになる
1961年
カポエイラが有効な格闘術の一つとしてリオの警察に採用される
2014年
カポエイラがユネスコの無形文化財として登録される
Source:
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Capoeira
https://www.acer-capoeira.com/timeline.php
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Slavery_in_Brazil