2007年03月28日
※この日記はmixiにて過去に投稿されたものです。
コルコバードの丘のキリスト像からふもとに戻るとすでに真っ暗、バスに乗って向かう次の行き先は、“サンタ・テレサ”と言う雰囲気のいいエリア。
路面電車が走ってて、アートのお店が点在するこの界隈は、至る所からラテンの音楽が聞こえてくる。
ロンリープラネットお勧めのバーに着き、“フェジョアーダ・カリオカ(リオ特製のフェジョアーダ。でも、特に違いは無い。)”2人前を3人で食べる。
と、ふと気付くと隣のテーブルにロンドンで楽器習ってたカポエイラの先生とアンゴラ仲間が居るじゃありませんか!
半年振り以上の偶然の再開で盛り上がる。
4月には日本に帰らないと、と話をすると、ロンドンでその先生と仲間数人が会社を作るから、そこで働かないかと誘われる。
ブラジル人の言うことだし半分冗談だと思うけど、それにしても、数年前に憧れたロンドンでの社会人生活…ポワーン。
イカンイカン、残念だが、今は日本に行かねばならない使命がある。
男らしく適当にその場は濁した。
彼らと、次の日かその次の日に再会する約束をし帰路に着く。
今日も疲れたなあ、確かに長い一日だった、と、12時前にはベッドに入るがその晩はやたら蚊が多くて全然寝られず。翌日は、連日の疲れもあり風邪ひいてました。ゴフッ。
さて、体調も悪く別行動を選んだ、わたしとスペイン人達。
宿の周りでプラプラして、夜はサンパウロで友達になったパンデーロ修行の若者&マイミク「ダイ君」と連絡が取れたので、一緒に“ショーロ”のライブへ。
恥ずかしながら、自分はショーロっつう音楽のジャンルは、ブラジル来るまでまーたく知りませんでした。なんでも、ボサノバやサンバのお父さん(謎)の名前らしいです。
そのライブでは、パンデーロの神様が演奏するとのことで、ダイ君、そわそわそわそわ落ち着かないご様子。とある本によると、その神様、○○○(←神様なのに名前思い出せない)は、現在のパンデーロの奏法を発明した人らしい。(ちなみにパンデーロとは日本で言う所のタンバリンみたいな楽器。サンバやボサノバ、カポエイラでも使われるッス。)
ショーロのライブの次は、違う場所でダイ君がパゴージに参加するらしいので一緒について行く。
おお、これぞリオで期待する3大イベントの第2弾、“音楽三昧の夜”、じゃありませんかっ!
さすが日本人、歩きでなく普通にバスに乗って現地に到着。音楽はすでに始まってる。
他のダイ君一味と合流し、カイピリーニャ片手に演奏を楽しむ。
前の方では、何人かがサンバ踊ってるんだけど、主におばチャンの女の人たち。
わたしは、後ろの方でこっそり踊ってましたよ。
女の人って踊るの好きだよなあ。
それにしても特にまん前で踊ってる女の人たち、、、カッコええ…。
サンバを上手に踊れる女の人はホント素敵だなあって思いましたよ。
それらを見てると、ゆるくはみ出た腹の肉、一般には短所とくくられそうなそいつが、実はラテンのノリにとって必要不可欠な要素じゃないかとさえ思えてきた。
その後、ダイ君達の住んでる家に移動。そこに居たメンバーはおれ以外、全員音楽のためにリオ滞在中。
それにしても、音楽に特化して真剣にやってる人とカポエイラのついでにやってるおれとは、パンデーロ一つにしても全然レベルが違うって思った。パンデーロ歴ではおれの方が何年も長いのに、彼らの足元にも及ばない。
やたらとSとMの話が多いその家の住人達と飲みなおし、その日はそのままソファーでお泊り。
翌朝、無断外泊したおいらがイパネマの宿に戻ると、スペイン人達はニヤニヤ。泊めてくれた友達が男だ言うとさらにニヤニヤ。おいら、ゲイキャラ固定ですか?
その日に、別の街に飛び立ち、そこからロンドンに向かうスペイン人達。
この3ヶ月間一緒に旅してくれてありがとう。
また、ロンドンで会おう!
おもいやりのつもりなのか、プレゼントにくれた彼のお古の黒いソックスを片手に、複雑な思いで見送るおいら。
結局、再会する約束だったロンドンのカポエイラの先生に電話しても先方の料金未払いで連絡が取れず、さすがブラジル人は“適当”と感心しながら、もう一方の再会の約束もそのままにサンパウロに帰る自分もかなりの適当さ。
このリオでの4日間はちょい短すぎで、ほんの一部しか見れなかったし、三大イベント三つ目、「ファベーラでファンキな夜」は、出来なかったけど、また、いつか戻ってくるぞ。おー!
写真1 サンタ・テレサのバーにて。
写真2 ショーロのライブ。一番右が神様。
写真3 パゴージ。