むう。
練習に行けないせいで、僕だけ時間が止まっている気がする。。。
今回は、事故直後いろいろ思った事を書きます。
ハズれた瞬間から、痛みと共にいろいろ考え出します。
(ベンサォンさえ蹴っていなければ。)
(ホーダに入らなければ。)
(バテリアに入っていれば。。)
挙げ句
(今日練習に来ていなければ。。。)
なんてゴチャゴチャと嘆いたりします。
しかしある程度思考も落ち着くと、次は
(はー、またあの痛みがしばらく続くのか。)
(またリハビリだ。)
(またしばらく練習に来れないのか。」
(骨折も併発していたらどうしよう。)
等々考え出します。
そしてそれも大方落ち着くと、後はとにかく痛みとの闘い。
(早く病院。)
(早く整復。)
(むしろもう脚を切りたい。)
とまで精神的にやられます。
そんな状況の中、
やっぱりみんなが励ましてくれたのがとても助かりました。
とにかく皆がいてくれて、ありがたかった。
肩をさすってくれたり。
声をかけてくれたり。
色々と手配をしてくれたり。
とても有り難かった。
僕は正直、大きな怪我をするまで
いわゆる「励ます」という行為
の意味がよく分かりませんでした。
「がんばって。」
「大丈夫」
「落ち着いて」
「深呼吸して」
「もうすぐ(救急車が)来るよ。」
ドラマやドキュメンタリーなんかで似たような光景を目にした事は有りますが、
端から聴いていると、気休め程度にしか聴こえないし、
当事者はむしろイラつくのではないだろうか。。?
なんて思ってました。
だがしかし、
当事者になって解った事は、ものすごく安心するということです。
この安心感はホントにものすごいです。
身体を触ってくれたり、手を握ってくれるというのも然り。
身体を触る=手を当てるという行為。
そこから「てあて」という言葉は生まれたのだと、なんかの本に書いてあった気がします。
それで外傷が回復する訳ではないのですが、メンタルは相当落ち着きました。
最中は、痛みでほとんど目も開けられませんので、
その他の感覚が鋭くなり、余計そう感じたのかもしれません。
とにかく、周りに誰かがいてくれる気配に安心感がありました。
逆に
病院に到着後、ストレッチャーに横たわったまま
レントゲン室も前で待っていたときの事、
不意に
誰の気配もしなくなり、頑張って目を開くと
。。。やはり誰もいない!!
これは大変です。
この時の不安感ときたら、大げさではなく軽いパニックです。
一緒に付いて来てくれていた、うちの先生を捜そうと、首を動かしていると
2、3m先から
「どうした?」
近寄ってくる先生の姿を確認。
僕は恥ずかしげもなく言いました。
「近くに居て下さい。。。(泣)」
。。今となってはこの上ない恥ずかしさですが
とにかくその不安感は
オジさんがオジさんを呼んでしまうほどのモノだったという事です。
怪我して学ぶ事も多々有り。
「てあて」もカポエイラでした。
でもやっぱり怪我はもうしないように気をつけます。
dois