メストレ・スアスナ (Reinaldo Ramos Suassuna)は、1938年ブラジル、バイーアのイリェウスで生まれ、イタブナで育った。
生まれつきの脚の障害のため、彼の意に反して、医者にサッカーではないスポーツをするように勧められ、その頃カポエイラを始めた二人の友人の影響と、足の治療の為、スアスナはそのブラジル芸術の道へ踏み出すこととなった。
生い立ち
始めたばかりの頃、スアスナは決してカポエイラが好きだったわけではなかった。
彼にとっては、ジンガやカポエイラ独特の動きが非常に難しく感じられ、さらには、カポエイラの中で歌うには、当時はあまりにリズム感がなかった事も原因であった。
しかし、時が経つにつれカポエイラの独特の面白さに気付いた彼は、次第に真剣に練習に打ち込むようになったが、この時点では彼の母は息子の事を病気だと思っていたようである。
スアスナがカポエイラを始めた最初の頃、彼はグループやスタイルに固執する事なく、柔軟にアンゴラとヘジョナウも含めたカポエイラそのものの多く学んだ。
カポエイラのキャリア
彼はメストレ・ビンバやメストレ・パスチーニャの両アカデミアの生徒とも交流し、また、サルバドールではメストレ・カンジキーニャ、ガトー、カイサーラの所へも顔を出していた。
そして、これらの経験全てが、現在の彼の世界的評価へと繋がる事となったのである。
1960年代初頭、スアスナはカポエイラのプレゼンテーションにおいてバイーアで輝いていた。
その結果、他の州や海外から多くの招待を受けることとなった。
1965年、二人の友人が彼にサンパウロに来るように強く要求しつづけたため、ついに彼はバイーアを離れ、アカデミアをオープンしカポエイラで人生の成功をつかむために雨の多い街、サンパウロへと旅立った。
彼の使命は、カポエイラを芸術、及びスポーツとして発展させることにあった。
初めの頃は多くの友人とも遠く離れている上に経済的にも厳しく、カポエイラの他にも様々な仕事に就かなければならないほど大変な状態であった。
運命的な出会い
そんな多くの困難の後、彼はとあるイタブナからの友達に会った事から、ブラジルサンパウロにあるゼ・フレイタのアカデミアに連れていかれた。
そして、その場所でメストレ・ブラジリアと運命的な出会いをし、1967年、協同でカポエイラ コルダォン・ジ・オウロを設立したのである。
その後、コルダォン・ジ・オウロは世界中に広がり、メストレ・スアスナは、そのことを非常に誇りとしている。
カポエイラの発展
メストレ・スアスナとメストレ・ブラジリア軍でのパフォーマンス
メストレ・スアスナとメストレ・ロバォンの非常に有名な写真
メストレ・スアスナとメストレ・マルセロ カベイリーニャ。この写真を元に、現在のコルダォン・ジ・オウロのロゴが作られた。
Mestre Suassuna, Biriba, Marcelo Caveirinha, Sarara, Lucifer, Tourinho e Gilson.
LP 「Mestre Suassuna e Dirceu Vol. 3」のために撮影した写真
マクレレ
Mestre Biriba, Marcelo Caveirinha, Sarara, Lucifer, Tourinho e Gilson.
LP 「Mestre Suassuna e Dirceu Vol. 3」のために撮影した写真