Mestre Bimba
メストレ・ビンバ

カポエイラヘジョナウの創始者

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メストレ・ビンバは、カポエイラ ヘジョナウの創始者。本名、Manuel dos Reis Machado (1899-1974)、サルバドール出身。

生い立ち

Bimbaというニックネームは、彼が生まれる時の母親と助産婦の賭けに由来する。

母親は生まれてくるのは女の子と、助産婦は男の子と賭けており、出産の際に助産婦が自分が賭けに勝った証拠に、赤ん坊には、Bimba (男性器のこと)があると発言したことに由来する。

後世、カポエイラ ヘジョナウを創始しカポエイラ近代化の父とされるビンバは、当時まだ違法だったにも拘らず、サルバドールで12歳からカポエイラを学び始めた。

職業としては、炭坑作業員、大工、倉庫管理人、港湾労働者、馬の調教師、等にも就いていたが、主にははカポエイリスタであった。

カポエイラ ヘジョナウの成り立ち

ジョゴのメストレ・ビンバ

彼が18歳になった頃から、奴隷達による抵抗手段としての格闘技ではなく、民俗芸能化しつつあった当時のカポエイラに疑問を持ち始め、以前の実戦的要素やバトゥーキと呼ばれる別の格闘技、さらには自らが考案した技を含めて、後のカポエイラ ヘジョナウの下地が作られていった。

1928年、ビンバがバイーア州の官邸で州知事を前に行ったカポエイラのパフォーマンスにより、カポエイラの文化的価値が認められ、1890年より続いていたカポエイラの違法化が解かれた。

1932年、ビンバは史上初となるカポエイラ道場をサルバドールに設立し、それまでストリートでしか行われることがなく地位の低かったカポエイラを、習い事の一つとして昇華させ、世間からの認識を改めさせることに成功した。

彼はその生徒には、模範となるよう様々な要求をした。その中には、白い綺麗なユニフォームを着用する事、そのレベルに応じ下級生に対しての指導や、日常の振る舞いに留意する事などがある。

その結果、医者や弁護士、政府関係者など、中流階級以上の人々や、それまで除外されていた女性までもが彼のアカデミアでカポエイラを始める事となり、それはまたビンバをサポートする強力な後ろ盾となった。

カポエイラ ヘジョナウの完成

1936年、ビンバはあらゆる格闘家からの挑戦を受け付け、4回の試合の結果全勝し、彼のカポエイラ ヘジョナウの有効性を証明した。

さらに1937年、ブラジル大統領前で披露したカポエイラのパフォーマンスにより、全国で教育のためにカポエイラを指導する承認を獲得したのである。

1942年、彼はふたつ目となるカポエイラ道場をサルバドールのテヘーロ ジ ジェスス広場に繋がる路地に設立した。
この道場は後に、ビンバが移住する際売りに出されたところ彼の弟子の一人が買い取り、現在もなお、さらにその弟子により運営されている。

尚、現在、よりビンバが考案した当時のカポエイラヘジョナウに忠実な形としては、サルバドールの別の道場で ビンバの実子により受け継がれている。

晩年

その後、バイーア地方自治体の援助の無さと、その他、約束の不履行に不満を持っていたビンバは、1973年、かつての生徒の呼び寄せに応えて、住みなれたサルバドールを離れゴイアニアへ移住した。
しかし、実際に到着してみると、そちらでも当初と食い違う条件に失望しながら、翌1974年2月5日、ゴイアニアの病院で永眠した。

メストレ・ビンバの写真集

メストレ・ビンバのセクエンシア

 

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